益子のやきものについて
前回は笠間についてお話をしましたが、
今回は益子(栃木県)についてお話してみたいと思います。
「神楽坂 暮らす。」でお取扱いしている益子の作家・窯元というと、
矢口桂司さん、松崎麗さん(休業中)、庄司千晶さん、道祖土和田窯。
益子の伝統の土や釉薬を使う方もいれば、磁器を制作する方も。
バラエティーに富んだ顔ぶれです。
さて。
益子焼のはじまりは、笠間焼の開窯から約80年経った1850年ごろ、
黒船来航・幕末の動乱の前夜のことでした。
笠間で修業した大塚啓三郎が益子に窯を築いたのが、
そのはじまりとされています。
そして、こちらも笠間焼発展の経緯に似て、黒羽藩の庇護を受け、
江戸向けの日常雑器作りが盛んになりました。
益子焼の特徴は、粘りの少ない赤土と、石材・鉄粉を使用した釉薬。
そのため、重厚感とぽってりとした独特の風合いがあります。
雑器の産地だった益子に変化が訪れたのは、1930年のこと。
柳宗悦らとともに民芸運動を展開し、各地で学んだ陶芸家・濱田庄司が、
益子に築窯したのです。
民芸運動は、ふだん使っているものの中に美しさを見出す
「用の美」という考え方が基本。
濱田はその考え方を、自ら体現し、
日用雑器に芸術性をプラスした作品を生みだしていきます。
またその後、濱田が人間国宝に指定されることによって、
益子という産地の名前も全国に広がることになりました。
いま、益子は伝統的な窯元に加え、若い作り手たちが集まり、
やきものという枠を越えた文化発信をするようになっています。
東日本大震災では、町内の登り窯がほぼ全滅し、被害は深刻でしたが、
少しずつ、復興に向けて動き出しているところ。
毎年春と秋に開かれる、全国的に有名な「陶器市」も、
震災によって中断することなく、継続して開かれています。
また、2012年9月には、町内各所で、
益子が育んできた土の文化に触れる「土祭(ヒジサイ)」が開催されます。
このイベントによって、
益子が、どんな新しい側面を見せてくれるのか、とても楽しみです。
「神楽坂 暮らす。」では、
その力強いクリエイティビティと発信力に注目していて、
これからも益子を見守っていくつもりです。
(2012年8月1日)
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